改めてマネジメントする側になってわかったこと
さて、新天地に飛び込んでから早くも5ヶ月が経過したわけですが、いろいろあって現在はプレイングマネージャ的なロールを任されております。
過去にもマネージャ的なロールをこなしていた時期があるのですが、当時よりも規模も経営に対するインパクトも大きいため、考え方というか視点をガラリと変える必要がありました。そんな中よく思うことを3つほど書いていこうかと思います。
まともなやつはケンカ嫌い
過去にも似たようなコンテキストの話を書いたことがありますけど、もはや近頃は以下の三段論法が適用できるんではなかろうか、とすら思いつつあります。
- 金持ちケンカせず
- まともなやつはケンカ嫌い
- 金持ちはまともなやつ
- (ただし、まともなやつだからといって金持ちかどうかはわかりません。)
大事なことは、ここでいう「まともなやつ」も「金持ち」も基本的に心の余裕があるということです。心の余裕があるもんだから、基本的にケンカに興味ないし、くだらない、と思っている。この手の人間は、ケンカみたいな下世話なものではなく、もっと自分の興味のある分野に時間なりお金を投資するわけです。好戦的な人間は真逆ですね。さて、どちらが自分にとって良い影響を与えてくれるでしょうか。
目的意識のない人間は、目的へ誘導すれば良い
そもそも目的を持つ、ということは、何かの物事に対して比較的高い解像度を持って継続的に観察できる状態でないと難しいとおもうんです。観察解像度の低い状態で目的設定を行うのは、本能の赴くまま行動するのとなんら変わらない。
マッチョな意見としては「もっと解像度をあげろ」「研鑚が足りないから目標設定できないんだろ」「甘え」など、手厳しい意見が並ぶことでしょう。もちろんそれもよくわかるんですけど、そもそも解像度の上げ方がわからない人間にとってはただの暴言にしかなりません。ここは一つグッと堪え、解像度の高い視点から目標を設定し、その目標へと一直線に向かうよう誘導してあげるのです。こうすることにより、目的がなくてそのまま腐っていく若者を減らすことができます。
誰もが100%の能力なんて発揮できない
これが一番大事なんですが、各々腹の中では「これをこうすれば、俺はもっと実力を発揮できるはずだ」って思っているところがあるでしょう。でもそれ、たらればの話ですよね。夢でしかない。無論、改善するまでの目標を設定して対応すれば「夢」ではなく「目標」になるんですけど。
そもそもみなさんが毎日本当に100%の能力を発揮してたら、おそらく1週間以内にほとんどの人間は死ぬでしょう。仕事に死ぬなんて、阿呆らしすぎます。
仕事をするからには、それなりのリスクとリターンがあります。ここでは単純にリスクを「自分の人的リソース」リターンを「おちんぎん」としておきますね。基本的には「自分の人的リソース」を犠牲に「おちんぎん」を得る行為が「労働」です。毎日100%の人的リソースを自由に使えますが、このうち何%を仕事に割り当てるか。これが大事です。
当然、仕事に割り当てる人的リソースは少ない方が効率が良いですが、あまりリソースをケチると当然おちんぎんも減ってしまいかねないので、そこの線引きを雇用先としっかり対話して、具体的に取り決めるべきです。
X: 「君は毎週5日出勤し、9時間働きなさい。年俸は400万ね。」
Y: 「それは無理ですね。年俸は300万でよいので、毎週4日出勤で6時間労働にしてください。その代わり、結果は必ず残します。」
このくらい言えるようになるといいですね。あ、もちろん裏打ちされた能力がないといけませんけどね。
結局のところ、自分の思ってる能力の30〜40%くらいが自分の全力なんです。時折それを超えてもいいですけど、「偶に」で済ませておきたいものです。
まとめ
何が言いたいのかわからなくなっちゃいましたけど、要するにマネジメントしてわかったことは「もし部下に無茶させたらマネージャは無能」ということです。